真っ白の麻のスーツ

夫です。大掃除になると、レコードを聴き出したり本を読み出したり、アルバムを整理し始めたり・・・

脱線するのが当たり前みたいになっていますが、祖父が残した写真もその原因のひとつです。

93歳で他界しましたが、生前はよく昔の話を聞いていました。

小学校の頃にスタルヒンからヒットを打ったとか、軍艦から飛び込んで拍手されたとか、灯台の下を潜ってウニをたくさんとって上がってきたとか、たくさんの「逸話」。

小樽中学校(現在の潮陵高校)から小樽商科大学に落ちて、早稲田大に、その後卒業して日立に入社したそうです。当時、日立の工場が神戸の武庫川にあり、その跡を見てみたいと、僕が中学生の時に一緒にその辺りを歩いた思い出があります。

祖父は社会人になったことが嬉しく、神戸だからお洒落しなきゃ、といった調子で白の麻のスーツを購入するも、夏に汗だくになって1日で黄色くなってしまったそうです。

未来にたくさんの希望を抱いていたんだと思います。

そんな幻想を打ち砕くかのように、戦争に召集、戦死したと思った祖父の母が、日立にその旨を連絡して退職(戦争に行っている間も給料がでていて、それを申し訳なく思って退職させたそうです)ー。

終戦後に満州から帰国して日立に自分の席が無くなってしまったことに、すごく落ち込んだそうです。

「戦争が無ければ日立の重役だった」

神戸に真っ白のスーツで降り立った時に思い描いた未来とは、全く違うストーリー。重役かどうかは別にしても、戦争がなければ違う人生だったんでしょうね(おそらく僕も生まれてない)。

今年は(今後も)「コロナ」と嫌でも向き合わなければいけませんでしたが、祖父が生きた時代と比べたら、ずっとマシなんじゃないかと思ってしまいます。

どんな時代であっても、自分たちもたくましく乗り越えたいなと、戦地で仲間と笑顔の祖父を見て思いました。

それにしても昔の写真、すごく良いなぁ。。

※祖父は左から2番目